vol.7 茶葉にお湯を注いで飲むようになった時代は?
暮らしを彩るお茶のうち、日常的によく飲まれているのは煎茶です。
茶葉に直接、お湯を注いで淹れる飲み方はいつごろから行われていたのでしょう。
今回は、庶民のお茶と煎茶の始まりをご紹介します。
番茶は室町時代から?
貴族や武士が喫茶を楽しむようになり、茶を栽培する茶畑も各地の山間部に増えていきます。庶民にとって上流階級の人が飲むようなお茶は贅沢品でしたが、実は室町時代後期からお茶を飲む習慣はあったようです。長けた茶葉を茹でて天日で乾燥させた粗末な茶=番茶を、煎じて飲むようなスタイルが普及していたということです。
神社仏閣の門前や街道沿いには、煎じた茶を売る茶店もできはじめます。室町時代からはやりだした芸能である狂言にも、「とある夫婦が流行にのって茶店を始めたけれど、マズい茶を出して客に愛想をつかされ、店をたたんでしまった」という内容の演目があるくらいです。
煎茶の始まりは宇治田原から
江戸時代初期に隠元禅師がもたらした散茶は、摘んだ茶葉を釜で炒った釜炒り茶で、もうひとつ日本人の口にはなじみにくいものだったそうです。そして庶民が飲む煎じ茶も、現代のような香味とはほど遠い液体でした。
江戸中期、山城国宇治田原郷(現在の京都府綴喜郡宇治田原町)の製茶業を営む家に生まれた永谷宗円は、もっとおいしいお茶ができないものか…と試行錯誤のうえ、元文3(1738)年に「青製煎茶製法」を編み出します。煎茶の製法を確立するまでには、なんと15年もの月日を要したそうです。
新芽だけを摘み取って蒸してもんで冷やし、焙炉で乾燥させた茶葉にお湯を注いで飲むスタイルは、抹茶や散茶の製法を取り入れながらも、まったく異なる芳醇な風味をもっていました。色も今までのくすんだ茶色ではなくきれいな緑色で、何よりふくいくとした香りを放ちます。もちろん味も従来の番茶より圧倒的においしいので、絶賛されました。
あっという間に全国区に
永谷宗円は完成した茶葉を、江戸日本橋の茶商・山本山の山本嘉兵衛へセールスに行きました。
嘉兵衛はこのお茶の素晴らしい香味に惚れこみ、「天下一」という茶銘をつけて売り出したところ、大好評であっという間に売り切れました。
宗円はこの「青製煎茶製法」を惜しみなく伝授したので、全国に「永谷式煎茶」「宇治製煎茶」として広がり、現在の煎茶の人気につながったのです。
CHABANASHI いかがでしたか?
暮らしを彩る「ちょっとタメになる話」になっていたら幸いです。
さまざま角度からお茶の魅力を伝えていきますので、次のお話もどうぞお楽しみに。
今日はこれまで。
ほな、さいなら。